表記について、AIに訊いてみた答えをコピペしておきます。
なぜ科学者(デヴィッド・ボームら)は共鳴したのか?>>「観察者と観察されるもの」の合一: 量子力学において、観察という行為が対象に影響を与えるという事実は、クリシュナムルティが説く「観察者(私)と観察されるもの(思考・怒りなど)は一つである」という洞察と物理的に響き合いました。 日常の世界では、野球のボールは「物体(粒子)」であり、プールの水面は「波」です。しかし、原子以下のミクロの世界(量子力学の世界)では、その区別が消滅します。これを**「波粒二重性」**と呼びます。
粒子の性質: 特定の場所に「点」として存在する性質。
波の性質: 空間に「広がり」、重なり合う(干渉する)性質。
ここで最も不可思議なのが**「観測問題」です。電子などの素粒子は、誰にも見られていないときは「波」として存在の確率が広がっていますが、人間が「どこにあるか?」と観測(測定)した瞬間に、パッと一箇所に固まって「粒子」としての姿を現します。**
つまり、「観察するという行為」が、対象の状態を決定づけてしまうのです。客観的に独立して存在する「物」はなく、観察者と対象は切り離せない関係にあります。
フォローできますか? さらには、わたしはいま月に2,3度、京都にあるK’s point(KはKrishunamurtiのKです)っていうNPOに通ってクリシュナムルティの言ったことを勉強してるのですが、そこでわたしの質問への先生の答えも以下にコピペしておきます。
そこで、このKにおける重要な認識について、以下に彼の表現をいくつか引用した上で、 解説を加えます。 1. Attention comes when there is no observer. 意識集中が可能なのは、観察者が不在なときなのです。 2. Actuality exists when the observer is the observed. 観察者が観察対象であるとき、真実が存在します。 3. When the observer is not, there is only fact. 観察者が存在しないとき、事実だけがそこにあります。 4. The observer is the past. 観察者は過去の存在です。 上記のKの指摘から、観察者が思考(過去)の人である限り、真実に触れる覚醒状態は 生起しない、という視点が明らかになります。観察者が無思考で観察される対象を見るとき、 両者は一つとなり、思考の発生する時間もないので、「絶対的現在」に触れることになります。 attention、actuality、factという表現は、この「絶対的現在」を示しています。
お分かりでしょうか⁇?
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